未来への一歩

北区ゆかりの
渋沢栄一翁からのメッセージ

渋沢翁は日本の近代経済社会の基礎を築いた実業家です。株式会社という仕組みを日本で 最初期に導入し、約500もの企業や団体の設立・育成に関わりました。日本の近代化をリードし、大きく貢献したとして、2024(令和6)年7月からの新しい1万円札の肖像に選ばれています。1916(大正5)年に刊行された『論語と算盤(そろばん)』は渋沢翁の代表作で、100年以上たった今もなお、多くの経営者や起業家の方々に読み継がれています。
北区にゆかりの深い渋沢翁が残した著書からは、北区が目指す「持続可能な環境共創都市の実現」や「地域循環共生社会(ローカル SDGs)の実現」につながるメッセージを見出すことができます。

 

渋沢栄一の肖像イラスト

 

小さな行動を積み重ねることで、大きなことが成し遂げられる

その大きなことは微々たるものを集積したもの。どんな場合も、些細なことを軽蔑することなく、勤勉に、忠実に、誠意をこめて完全にやり遂げようとすべきなのだ。 (『現代語訳 論語と算盤』渋沢栄一著、守屋淳訳、筑摩書房、2010年)

 

大きなことは、小さなことが積み重なったものだから、どんな場合でもそれを軽んじることなく、その一つずつの行動を勤勉に、心をこめて成し遂げることが大事であると渋沢翁は語っています。

 

環境問題は地球規模の壮大なスケールのため、その大きさに意識を向けてしまうと「こんな小さな行動で何が変わるのか」「こんなことをしても無意味ではないか」と思う方もいらっしゃるかもしれません。けれども、「千里の道も一歩から」という言葉があるように、どんなことも小さな行動を一つずつ積み重ねていくことでしか達成できません。
たとえば高い山に登る時も、はるか遠くの頂上を見ているばかりでは、いつになったらたどり着けるのかと気が遠くなってしまうかもしれません。そんな時こそ、目の前の一歩に集中して、少しずつでも歩みを進めていけば、いつしかその頂まで登ることができるのです。
環境をよくするための行動についても同じことが言えます。一つずつの行動は小さくても、それを日々のなかで「心をこめて、きちんとやり切る」ことを意識して取り組めたなら、きっと大きな成果につながってくるはずです。

よい習慣は「よい人」を生み、よい習慣は周囲へひろがっていく

もともと習慣とは、人の普段からの振舞いが積み重なって、身に染みついたものだ。このため、自分の心の働きに対しても、習慣は影響を及ぼしていく。悪い習慣を多く持つと悪人となり、よい習慣を多く身につけると善人になるというように、最終的にはその人の人格にも関係してくる。(中略)また、習慣はただ一人の身体だけに染みついているものではない。他人にも感染する。ややもすれば人は、他人の習慣を真似したがったりもする。 (『現代語訳 論語と算盤』渋沢栄一著、守屋淳訳、筑摩書房、2010年)

 

環境に関する取組みの際も、この「よい習慣」を日常生活や通常業務のなかで習慣化することが、とても大切ですし、また効果的です。何事も心をこめて行う習慣を身につければ、大きなことを成し遂げることが出来る、とも渋沢翁は語っています。そして、そのような「よい習慣」は周りの人にも伝わっていき、自然と環境をよくするための行動や心がけが周囲にひろがっていくようになるのです。これはまさに北区が目指す「一人ひとりが環境を考え、ともに行動するまち」とも重なってきます。

 

では、その「よい習慣」はどのように見つけたらいいのでしょうか。まずは、「こういうことなら自分でも出来そう、続けられそう」と思う行動を、一つでもいいので数週間ほど行ってみて、自分のライフスタイルや業務形態に合っているか、無理なく続けられそうかを見極めてみましょう。

 

習慣について渋沢翁は、「自分に合っていない習慣ならばやめにして、他の習慣を探すのもよい」とも語っています。環境をよくするための行動にはどんなものがあるのかについては、北区環境ポータルサイト内のさまざまな記事やコンテンツでご覧になれます。

北区にある、渋沢栄一翁に関する施設や史跡

渋沢翁が晩年の活動拠点としたのが現在の北区内でした。飛鳥山の地に邸宅を構え、そこに国内外のゲストを招き、重要な会議や外交の場として活用したのです。
渋沢翁は、近代経済社会の発展に尽力する一方で、王子・滝野川地域施設への助言や寄付なども行い、地域の発展を大切にしました。北区には、渋沢翁が関わった建築や公共施設が史跡として残されており、渋沢翁について詳しく知ることができる施設にもなっています。そのうちの いくつかをご紹介します。

旧醸造試験所

渋沢翁が設立した日本煉瓦製造会社のレンガで作られた国の重要文化財です。

 

旧醸造試験所

(旧醸造試験所)

音無橋(音無親水公園)

「日本の都市公園100選」に選ばれた音無親水公園に架かる音無橋は、渋沢翁が建築と開通を支援しました。

 

音無橋

(音無橋)

渋沢史料館及び晩香廬、青淵文庫

渋沢史料館は日本の近代経済社会の基礎を築いた渋沢翁の91年に及ぶ生涯と、携わった様々な事業や、 多くの人々との交流を示す諸資料を、時代背景の解説とともに展示している博物館です 。かつて渋沢翁が住んだ邸宅「曖依村荘(あいいそんそう)」跡地の一部に建ち、国の重要文化財に指定されている晩香廬、青淵文庫の内部公開も行っています。
「曖依村荘 」は、はじめは別荘として、のちには本邸として使用されました。現在は庭園の一部とともに、「晩香廬(ばんこうろ)」や「青淵文庫(せいえんぶんこ)」が残り、昔の面影をとどめています。 民間外交の場として、第18代アメリカ大統領をつとめたユリシーズ・グラントや中華民国前国民革命軍総司令の蒋介石(しょうかいせき)など、 多くの人々が招かれた場所です。

渋沢史料館

(渋沢史料館)渋沢史料館提供 

 

晩香廬(ばんこうろ)は、渋沢翁の喜寿(77歳)を祝って現在の清水建設(株)が贈った洋風茶室です。1917(大正6)年の竣工で、丈夫な栗材を用いて丹念に作られ、暖炉・薪入れ・火鉢などの調度品、机・椅子などの家具にも、設計者の細やかな心遣いが見られます。晩香廬は内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用されました。

 

晩香廬

(晩香廬)渋沢史料館提供

 

青淵文庫(せいえんぶんこ)は、渋沢翁の傘寿(80歳)のお祝いと、男爵から子爵に昇格した祝いを兼ねて竜門社(公益財団法人渋沢栄一記念財団の前身)が寄贈した煉瓦及び鉄筋コンクリート造の建物です。1925(大正14)年の竣工で、渋沢翁の書庫として、また接客の場としても使用されました。渋沢家の家紋「丸に違い柏」にちなんで柏の葉をデザインしたステンドグラスやタイルが非常に美しい洋館です。

 

青淵文庫

(青淵文庫)渋沢史料館提供

渋沢栄一翁の精神を受け継ぐ、北区の取組み

北区では、2019(令和元)年8月から新たなシティプロモーションとして「東京北区渋沢栄一プロジェクト」を展開しています。変化を恐れず時代に合わせて変化し続け、私益ではなく社会の発展の実現のために事業を推進する「合本主義」を提唱し、行政と民間が協力をする考えを唱えた渋沢翁の教えや考え⽅をベースに、公民で連携し、北区を新たな時代へ導いていくプロジェクトです。

 

東京北区渋沢栄一プロジェクト イメージ

渋沢翁の言葉はSDGsの理念と相通ずるものがあることから、その精神を受け継ぎ、「北区版SDGs(渋沢×北区×SDGs)」の取組みを推進しています。その取組みの一環として、SDGsの理念に賛同し、推進している企業等を「北区SDGs推進企業」として認証し、支援することで、企業等の継続的な発展や地域課題の解決に寄与することを目的とした「東京都北区SDGs推進企業認証制度」を実施しています。また、SDGsに関する事業者向けセミナーを実施しています。こうした取組みによって、さらにSDGs の普及を図り、持続可能な地域経済の実現を目指していきます。

 

参考・引用サイト

渋沢翁が人生の拠点とした東京北区
https://shibusawakitaku.tokyo/history/(別ウィンドウで開きます)

東京都北区観光ホームページ 渋沢史料館
http://www.kanko.city.kita.tokyo.jp/spot/453-2/(別ウィンドウで開きます)

北区版SDGsの取組み
https://www.city.kita.tokyo.jp/kikaku/sdgs.html(別ウィンドウで開きます)

北区SDGs推進企業認証制度
https://www.city.kita.tokyo.jp/sangyoshinko/sangyo/chiiki/sdgsninsyo/index.html(別ウィンドウで開きます)

渋沢史料館 施設概要
https://www.shibusawa.or.jp/museum/facility/(別ウィンドウで開きます)